神様のミニマリズム
神社に行かなくなった
どうもyonnです!
年が明けて、神社などにお参りに行った方も多いと思います
僕自身は神社は静かな雰囲気が好きなので、年明けにすぐに行くという事はないですが旅行などの際にその近くにある神社によく行ってました
しかしながら、昨年は一度も神社に行くことはなくなりました
神様を手放す?
行かなくなった理由は特にあるわけではなく、むしろ行く理由がなかったからということです
荘厳な雰囲気は好きなのですが、それにしてもわざわざ行く必要もないかな?と思い始めています
困った時の神頼み、という言葉もありますが
人間はそろそろ神様の手を離れるべきなのでは、神様を手放してもいいのではないか?
という考えもありだと思います
もっと自分を信じる
効率性や合理性を追求したときに、神社に行くという行動は上手く説明がつけられないのではないでしょうか?
まあ、これはもちろん神社に行くことを否定しているわけではなく、こういう考え方も取り入れた方がいいのではないか?というくらいのものです
こんなことを考えるくらいなので自分には神様がいない仏教の考え方がしっくりきます
カイジというギャンブルマンガがあります
主人公はあるとき賭けで神に祈るのですが、その結果負けてしまい
なぜ自分が勝つ可能性を追求せずに、思考を放棄して神に祈ってしまったのだ
という教訓を得ます
人間は神様の手を離れて、もっと自分の力を信じる時代
神様を手放す、というミニマリズム
いつかそれも必要なのかもしれません
合理主義と神様
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