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寂しいものほど儚く美しい

ミニマリストの部屋

どうもyonnです!

よく何もないミニマリストの部屋を見て

「よくそんな部屋で暮らせるね」
「頭おかしくならない?」


なんて感想を目にする

まあ、普通の人の反応だと思う
僕自身も初めて何もない部屋を見たときは
「この部屋の人はちょっとヤバい人だ」
と思ったし


でも
いざ自分でモノを減らしていって
何もない部屋を作り上げると
これが思いのほか快適だった

休日はほぼ一日中この何もない部屋にいられるくらいに

僕はこういう部屋が好きだったらしい


モノがない部屋で暮らせる理由は

モノがないから視覚情報が少なく
頭がごちゃごちゃにならない


必要なモノをすぐに取り出すことができる

という効率・能率面での快適さももちろんある


でも
そういった機能性のことだけでなく
単純にモノがない空間が好きだから
という理由の方が大きいのだろう


寂しい

モノがない部屋を見たときに
「寂しい」という印象を持つ人も多いだろう

そう、寂しいのだ

そして
たぶん僕はその寂しいが好きなのだ

寂しいが好きとかいうと
クールな奴というイメージもあるが
自分のことをクールな奴だとは口が裂けても言えない

僕自身はクールではないけど
クールな空間、寂しい空間を好む体質であることは確からしい


普通の人は部屋に対して寂しいはマイナスだが
僕にとってはプラスに働く

寂しい空間が好き

だからこそ
今のこの部屋でずっと暮らしていける

ワビサビ

なんでこんなことを考えたのかというと

今年ももう終わりなので
今年訪れた旅行先を思い出していたら

僕は寺や神社、田舎町、言葉は悪いがちょっと寂れた場所に行っていることが多かった

もちろん
仏教の考え方が好きだからというのもあるが
寺や神社そのものの空間も好きなのだ
むしろ訪れる理由としてはそちらの方が大きい


そして
そこにもやはり寂しさがあるからだ
と考えた

寂しい空間が美しいと思える

また寂しさからは強さも見て取れる

寺や神社が寂しく見えるのは
余計なモノを排除しているから
その寺や神社だけの強さを持っているからだ


逆に
同じ神社でも
初詣とか祭りとかには僕はほとんど足を運ぶことがない

余計なモノが多すぎて寂しさが感じられないからだ
(神様的にはたくさん来てくれる方がうれしいのだろうが)


また、少しズレるが
僕は何かが「終わる」ということにも美しさを感じる

終わりの美学

何もない部屋というのは
いつでも終わりにできる部屋
(人がいなくなれる部屋)
とも言える

断捨離という行為も
モノに対して終わりを宣言する行為だった
終わらせる行為だった



ということで
言いたかったことは

よくあるモノがない
ミニマリスト部屋に暮らせる人は
効率とかそういうこと以外にも

単純にそういう寂しさが好きな体質・耐性がある

という理由もあるからじゃないの?

ということ


だから
なかなかミニマリストのような部屋にできない
と悩んでいる人がいたら

それは断捨離が足りないからとかではなく
そういう寂しさが好きではないから
とも言える


逆そういう部屋でも問題ない
むしろ好ましいという人は

どこか寂しさに憧れる自分もいるんじゃない?
という発見ができるんじゃないかな

寂しさが武器になるかはわからないけど
自分とはどんな奴か?を知る上で

普通はマイナスと思われていることが
自分にとってプラスなのは知っておいて損はないと思います

寂しいは美しい



 

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