仏教から考える
こだわり
どうもyonnです!
ミニマリストの中でも意見が分かれるのが
「こだわり」を持つかどうか?
という事だったりしますよね
持ち物を少なくしていったのだから、それら一つ一つのモノによりこだわっていく
という人達がいる一方、
こだわるよりも許容範囲を広げた方が楽に生きられる
と考えて特別こだわらない人達もいる
僕の場合は後者に当たります、その方が主にコストが掛からないと思っているからです
もちろんどちらが正解ということはないです
しかし、この「こだわり」を仏教の方面から考えてみて、一つの答えを見つけてみようと思います
自分を捨てる
「こだわり」というのは言い換えると「個性」とも言えると思います
こだわりを持つことによってそこに個性を出して、「自分」を表現しているのではないでしょうか?
この「自分」というのが今回注目した点です
仏教では自分を捨てる、自分というものはない、「無我」と考える事が大切だったりします
自分というものを考えてしまう事によって、「これは自分のモノだ!」というように失う事を恐れるようになります
自分のモノを増やせば増やすほど、それらを守るための苦しみます
自分を作り出すことによってそこに「欲」を生み出してしまい、その「欲」のせいで苦しむことになってしまうという事ですね
無我の境地
また、仏教には諸行無常と並ぶこの世の真理に「諸法無我(しょほうむが)」という言葉があります
あらゆる物事に自分というモノはない、常に他の物と関連して独立する事はないという意味の言葉です
元々自分というものはないのに、自分を作り出してしまう事で苦しんでしまうのです
なので仏教の目指す道の一つとして、無我の境地が設定されています
「自分のモノ」を減らしていくことによって、苦しみから解放されていくというのはあると思います
と、このように考えると
仏教に関連深いミニマリズムの一つの方向性として、自分を無くす、つまりこだわりを無くすという方向の方が本来の目的にあっているのかもしれません
まあ、もちろん仏教的に言えば、という話なので「こだわり」を持とうが持つまいがどちらでもいいのですが
あくまで苦しみを減らすという方向では「こだわり」は持たない方が良いのかもしれません
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